裏切られた義勇軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 17:06 UTC 版)
「エルンスト・フォン・ザロモン」の記事における「裏切られた義勇軍」の解説
1919年6月28日におけるヴェルサイユ条約の調印は、義勇軍の荒廃した無法者の心情を一層掻き立て、彼らの反政府、反西欧の気持ちを固めさせる。政府に見捨てられたという言い知れぬ感情と裏切られた気持ちが辺境の地にある彼らを襲う。 ザロモンの描写によれば、条約調印の報がもたらされた瞬間、座はしらけて静まりかえり、戦友だったシュラーゲターが「やっぱりドイツは調印したか」と呟きながら席を立ってドアを閉めたとき、地響きのような音がしたという。シュラーゲターは、後に1923年、フランス軍がルールを占領したとき、対フランス軍・レジスタンスの闘争で、スウェーデン王后の助命嘆願の努力もむなしくフランス軍に処刑され、共産主義者のカール・ラデックが追悼演説のなかでその死を慎んだ男である。 政府に見捨てられて毒食わば皿までもの捨てばちの気持ちに駈られた彼らは、馬や武器弾薬を政府に引き渡すことを拒んでこれを隠匿し、帰還命令を無視して今度はロシア人のもとで、ロシア白軍の軍帽を被ってイギリス軍やラトビア軍との展望のない戦闘をつづける。
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