袁煕とは? わかりやすく解説

袁煕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 05:22 UTC 版)

袁 煕(えん き、? - 建安12年(207年9月)は、中国後漢時代末期の武将。は『三国志』魏書袁紹伝では顕奕[1]、『後漢書』袁紹伝では顕雍豫州汝南郡汝陽県(現在の河南省周口市商水県)の人。父は袁紹。母は不明。兄は袁譚。弟は袁尚。従兄弟は高幹。一族は袁買[2]


  1. ^ ちくま学芸文庫版は「顕突」となっているが、誤り。
  2. ^ 袁買は袁煕の弟という説の他に、袁尚の兄の子という説もある。その場合は、袁煕にとって子・甥のいずれであるかは不明である。
  3. ^ 『後漢書』袁紹伝によると、これは直後に2人を斬る公孫康の言葉である。


「袁煕」の続きの解説一覧

袁煕(えんき)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 11:04 UTC 版)

バイトのコーメイくん」の記事における「袁煕(えんき)」の解説

甄姫の夫で、名門袁家当主ロリコンで、幼稚園スモック小学校体操服着せよう甄姫追いかける変態甄姫からはよく足で踏まれている。

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袁煕(えん き、字・顕奕)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)

蒼天航路」の記事における「袁煕(えん き、字・顕奕)」の解説

袁紹次子甄姚元夫。父からは「武勇足し加え必要がある」と評される。兄袁譚、弟袁尚跡目争いをしているなか、どちらにも与せず中立を保つ(やや弟に期待をよせる節も見受けられる)。袁紹死後領土であった北方四州曹操奪われ袁尚とともに北方烏丸族のもとに身を寄せる官渡大戦頃までは名門自信落ち着き持った人間であったが、この頃には苦労続いたせいか人が変わったかのように弱気性格となり、外見もやせ細り頭も禿げあがってしまった。烏丸族敗北後は北の公孫康の下に逃れるが、裏切られ袁尚とともに斬られた。

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