蒐集物の末路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/16 19:23 UTC 版)
「エルンスト・シュトローマー」の記事における「蒐集物の末路」の解説
不完全ながらも唯一のスピノサウルスの骨格をはじめとするシュトローマーの化石、地図、調査の詳細といったコレクションは、第二次世界大戦におけるイギリス空軍による1944年4月24日の夜 ミュンヘン空爆の際、収蔵していたミュンヘン博物館とともにすべて破壊されてしまった。シュトローマーはコレクションが危険にさらされていることを認識しており、蒐集物の移動を要請していた。しかしその予見が反ナチ行為とみなされ、強制収容所送りにすると脅迫を受けた。シュトローマーのかわりにドイツ軍に所属していた3人の息子達が激戦地へ転戦させられてしまった。その結果、2人が死亡、もう1人は捕虜となった。 捕虜になった息子も既に死んだと皆は思っていたが、シュトローマーが1952年、82歳まで生きながらえたのは、この息子が生きて帰って来るという希望を持っていたためとも言われる。捕虜となった息子、ウォルフガング・シュトローマー (独:Wolfgang Stromer) は1950年にシベリア抑留の末、ドイツに帰還した。ウォルフガングは帰還後、法学を学び検察官となり、1952年に結婚、同年12月中旬にエルンスト・シュトローマーは亡くなった。1990年までエアランゲン・ニュルンベルク大学などで経済・技術史の教授の地位にあり、経済史や家族史の著書を多く出版したウォルフガングは、引退後の1995年に父の恐竜研究の写真を博物館に寄贈し、1999年9月8日に亡くなった。
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