著名な作戦行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/21 07:37 UTC 版)
「アメリカ合衆国有色軍」の記事における「著名な作戦行動」の解説
USCT連隊は南北戦争の全戦域で戦ったが、主に後方で守備隊を務めた。USCTの作戦行動で最も有名なのはリッチモンド・ピータースバーグ方面作戦におけるクレーターの戦いである。USCTの連隊は南軍防衛線の突破を試みて甚大な被害を蒙った。その他の特筆すべき戦例としては、初期の試験的な大規模投入の一つだった第二次ワグナー砦の戦いやナッシュビルの戦いなどがある 。 USCTの兵士は南軍による過剰な暴力に曝された。テネシー州で起きたピロー砦の戦いのように、戦場では虐殺や残虐行為の被害者となった。南軍兵士の手に落ちると捕虜とはされず殺害される危険が高かった。 捕虜交換協定は南軍が黒人捕虜に対して取った態度のために崩壊した。アメリカ連合国は軍服を着た黒人を囚えた場合は叛乱奴隷として市民法廷で裁くとする法案を通した。これは重罪扱いであり自動的に死刑が宣告される。この法律のために捕虜交換は頓挫した。 1865年にリッチモンドが陥落した後、リッチモンドに最初に入城した中にもUSCTの兵士が居た。第41USCT連隊は北バージニア軍がアポマトックスで降伏した現地に居合わせた。戦争終結後、USCTの連隊は旧アメリカ連合国構成州で占領軍の一部を務めた。
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