華族会館の理事委員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:03 UTC 版)
廃藩置県で高知藩が廃された後は、旧藩主・山内豊範の家令となった。のち山内家を致仕して華族会館の理事を勤め、また民間の事業に関わった。明治19年(1886年)には日本初の私鉄である日本鉄道会社の理事委員となっている。幕末の土佐藩で中心的な役割を果たした人物の割には世に知られることもなく、晩年は不遇であった。明治29年(1896年)7月、死を前にして従五位に叙せられた。享年63。墓は祐天寺(東京都目黒区)。
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