芸術作品の避難に関する論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/16 13:31 UTC 版)
「第1降下装甲師団」の記事における「芸術作品の避難に関する論争」の解説
連合国軍が更に北進しモンテ・カッシーノの修道院に接近してきたときに、ユリウス・シュレーゲル中佐(Oberstleutnant Julius Schlegel)指揮の師団の分遣隊が修道院の貴重な芸術作品を避難させるのを買って出た。修道僧はこれに同意し師団の車両がダ・ヴィンチ、ヴェチェッリオ、ラファエロと聖ベネディクト修道院所蔵のかけがえの無い芸術作品の搬出に使用された。これらの荷物はバチカンに預けられモンテ・カッシーノの戦いで破壊されることを免れた。ゲーリングが美術品の略奪者であるという評判のために親衛隊の憲兵部隊が修道院に派遣されシュレーゲルは逮捕された。修道僧の弁明と師団長の介入によってようやくシュレーゲルは刑を免れ、避難作業は続けられた。感謝を込めてモンテ・カッシーノ修道院の修道僧はミサを執り行い、シュレーゲルの尽力を表して彼に装飾写本を贈呈した。戦後、シュレーゲルは戦争犯罪と略奪の疑いで逮捕されたが英軍のハロルド・アレクサンダー元帥が個人的に1度介入しただけで釈放された。 1944年2月に連合国軍がアンツィオに上陸すると師団はその地域に急派され、第1特殊任務部隊を擁する侵攻してくる連合国軍との戦いに参加した。1944年2月から4月まで師団はシステルナ、ラーピド川、ミントゥルノで戦った。
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