美津濃製オリンピア・マイゼA-1522とは? わかりやすく解説

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美津濃製オリンピア・マイゼA-1522

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:31 UTC 版)

島本真」の記事における「美津濃製オリンピア・マイゼA-1522」の解説

常国隆二級滑空士の滑空機滞空日本新記録達成の後、美津濃新たに1941年2月22日吉川精一滑空士を、美津濃グライダー製作所製作したオリンピア・マイゼ号(登録機体番号A - 1522)に搭乗させ、滑空記録挑戦をする事となった。 オリンピア・マイゼ号は、1940年開催予定であった東京オリンピックで、制式種目となっていたグライダー競技用製作されていた。島本真は、サポート隊の中で唯一の美津濃社員として参加していた。重たい機体六甲山山上人力運搬する写真残っている。まだ寒い時期ちらつく中、車が通れい山道を分解され機体数人掛かり運び上げた。この時の記録挑戦は、六甲山から生駒超え三重県明野飛行学校まで140kmの飛行挑戦することであった発航後、美津濃マイゼ機は2,000mの高度を取ったところで急に風向き変わり直下西宮降りてしまった。この時の吉川滑空士の帯空時間は、10数分平凡な記録終わった六甲山山上より滑空記録に挑戦した美津濃製オリンピア・マイゼ号A-1522 記録挑戦のための機体搬送で、先頭を行く島本真 六甲山山頂美津濃製A-1522マイゼを運ぶ 島本敬一が出会ったときの美津濃マイゼ号A-1522

※この「美津濃製オリンピア・マイゼA-1522」の解説は、「島本真」の解説の一部です。
「美津濃製オリンピア・マイゼA-1522」を含む「島本真」の記事については、「島本真」の概要を参照ください。

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