結党から2000年総統選挙までとは? わかりやすく解説

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結党から2000年総統選挙まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 17:21 UTC 版)

台湾建国党」の記事における「結党から2000年総統選挙まで」の解説

結党契機は、民進党中央大陸政策として「大胆西進」、「大連合」、「大和解」等、中国共産党譲歩した施政方針掲げたことに不満を持った急進派が、中華人民共和国による一つの中国の原則の下、台湾国際空間圧迫受けていると主張し、独自の路線模索したことにある。建国党勢力内政面では民進党対抗するために台湾独立謳う党綱領文書化すること、対外的には一国二制度名分の下に台湾武力解放」あるいは併呑することに反対する姿勢表明していた。建国党結党当初世論注目集め民進党高雄市議員蔡龍居、立法委員李慶雄、陳文輝、陳光復らが建国党参加した。 しかし民進党主席許信良辞任し台湾独立派林義雄党主席就任すると、建国党民進党対立軸曖昧になり党勢発展にかげりが生じた。さらに彭明敏らの台湾独立主張する活動家により新国家連線が結成されると、選挙活動において建国党と票を奪い合うとなった第4回立法委員選挙では獲得議席はわずか1議席とどまり、県市長選挙では建国党から出馬した銭文南(台中県)、鄭邦鎮(台中市)、臧汀生(嘉義市)の3人は全員落選憂き目遭い地方議会選挙でも当選1議席という結果終わった1999年建国党党主席の鄭邦鎮、副主席黄玉炎で総統選挙を狙うが、立候補資格得られない状態であった2000年総統選挙終了後源等の主要党員離党建国党大きなダメージ受けた。この時の占有議席立法委員1議席李慶雄)、国民大会代表1議席(銭林慧君)、県市議員1議席(邱昭煌)であった

※この「結党から2000年総統選挙まで」の解説は、「台湾建国党」の解説の一部です。
「結党から2000年総統選挙まで」を含む「台湾建国党」の記事については、「台湾建国党」の概要を参照ください。

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