結党からボリビア革命まで
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「民族革命運動党」の記事における「結党からボリビア革命まで」の解説
結党当時のボリビアはチャコ戦争での敗北により民族主義的な思想が勢力を強めつつあり、ダビッド・トロ・ルイロパ大統領はスタンダード・オイル社の事業の国有化をおこなうなど、労働者階級の意見を取り入れた政策が進められていた。しかし、チャコ戦争に従軍した青年将校や都市部の中間層らはそれを不十分と考え、MNRを結成した。 結党後10年の間にMNRは鉱山労働者や農民からの支持も得、錫の利権を持つ財閥と激しく対立し、ポピュリストとしての立場を明確にしていった。そして、1951年5月6日には総選挙で第1党となり、エステンソロ党首が大統領になる権利を獲得するに至る。ところが、軍事政権はこの選挙の無効を宣言し、エステンソロの大統領就任を認めなかった。 このため、鉱山労働者を中心としたMNR支援者たちは武装蜂起し、1952年4月9日にクーデターを起こす。(ボリビア革命、4月革命とも。) このクーデターを受け、ブエノスアイレスに亡命していたエステンソロがすぐに帰国し、大統領に就任した。
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