経営の混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 14:30 UTC 版)
「群馬農林専門学校 (旧制)」の記事における「経営の混乱」の解説
しかし、同年2月17日の金融緊急措置令の発動によって資金の提供が不可能になり、予定されていた土地の寄付も認められなかったことで、群馬農専は開校時より経営上多大な不利を被った。加えて、戦後の混乱も手伝って教育に必要な設備を整えることができず、その状況は「極端にいえば試験管さえないくらい貧弱」であった。ただちに学生は教育環境の整備・充実を求める批判の声を学校に対して挙げ始め、校長以下の教員らも、施設充実の観点から学校を県に移管させ、将来的に農科大学に昇格させることを財団法人の経営陣に求めたが、法人側は私学としての経営にあくまでこだわり、学生・学校当局と対立することとなった。1946年11月25日には設備向上のために経営改善を求める学生によってストライキが発生した。しかし経営陣は学生の要求に対して適切な回答を行わず、学校の運営を巡る問題はより混迷を深め、1947年2月には校長の鞍田以下関係する教職員が全員退職するという事態が発生した。
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