組織の名称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/24 00:11 UTC 版)
上鳥羽橋上鉦講中は「空也堂念仏」とも呼ばれ、歴史的にも空也堂との関係が深い。講における由来の多くを空也に淵源を求める。 上鳥羽の六斎念仏は空也堂の記録である「六斎念仏収納録」に、この地域に複数六斎念仏が行われていたことを記載している。1884年(明治17年)の記録では、「上鳥羽村橋上、同橋浦」とあり、さらに1907年(明治40年)には「上鳥羽村三組」と記されている。このうち、昭和まで橋浦(橋下)が六斎念仏を継承したが継承者不足により廃絶している。現在[いつ?]では橋上鉦講中のみが存続しており、上鳥羽の六斎念仏といえばこの橋上鉦講中を指すことが通例である。 明治時代ころまでは、組織の名称は一様でなく、「城州上鳥羽上組講中」「洛西上鳥羽橋上講」などとも呼ばれ、さらに空也堂からの免状には、「六斎大導師 上鳥羽橋上講」の称号が付与されている。六斎念仏における大導師とは、天皇家の仏教的送葬儀礼である「焼香式」において、六斎念仏講中の筆頭として「焼香式」に出仕し、導師役を勤めることによる称号である。
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