細川成之
細川成之
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細川 成之(ほそかわ しげゆき)は、室町時代から戦国時代にかけての武将・守護大名。室町幕府相伴衆、阿波国・三河国・讃岐国守護。細川阿波守護家5代当主。後に本家に当たる京兆家を継いだ細川澄元は孫に当たる。
注釈
- ^ 系譜類には後に「久之」と改名したとする記述(『続群書類従』巻114所収「細川系図」・『寛政重修諸家譜』など)があるが、これを裏付ける同時代の記録は無く改名を否定する説もある[1]。
- ^ 第6代将軍・足利義教より1字を賜った持常の弟。教祐の経歴については不詳であるが、文明7年(1475年)7月28日に成之が父・教祐の三十三回忌を行ったことが、天隠龍澤の『黙雲稿』に記されている[2]。
- ^ 細川政元に不満を抱いていた公卿の中御門宣胤は、薬師寺元一が自害に追い込まれたのは畠山尚順と細川成之が約束していた援軍が遅れたためであるとしている(『宣胤卿記』永正元年9月21日条)。
出典
固有名詞の分類
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