紅牙撥鏤尺 甲 (こうげばちるのしゃく)
紅牙撥鏤尺
主名称: | 紅牙撥鏤尺 |
指定番号: | 787 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1957.06.18(昭和32.06.18) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 工芸品 |
ト書: | |
員数: | 1枚 |
時代区分: | 奈良 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 奈良の作品。 |
工芸品: | 紅地桐文散錦直垂 紅地菊枝桐亀甲文唐織小袖 紅地雪持橘文様唐織小袖 紅牙撥鏤尺 紅糸威鎧 紅綾威肩腰萌黄綾胴丸 紋散透鐔 |
紅牙撥鏤尺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/01 09:34 UTC 版)
紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく[1][2])は、象牙でつくられた尺(ものさし)であり、東京国立博物館が所蔵する法隆寺献納宝物のひとつである。国の重要文化財に指定されている。
資料の特徴
名前が示す通り、赤く染めた象牙でできており、撥鏤(撥ね彫り)の技法によって文様がつけられている。表面には宝相華と蓮の花に乗った鴛鴦(おしどり)が、裏面には草花の文様と鴛鴦が描かれている[1][2]。
長さは約29.6cm、幅は約2.2cm、厚さは約0.8cmであり[1][2]、重量は88.6gである[3]。全体がやや湾曲しており、経年によるものとみられるが、製作当初から曲がっていたとする意見もある[3]。
作者および年代
正倉院宝物に含まれる同種の資料(「関連する資料」の節を参照)と比較して素朴なつくりであることから、中国より輸入された品をもとに日本で製作されたと考えられる。加えて長さが中国の唐大尺の1尺にほぼ一致しており、この値は大宝律令(701年)によって国内でも使用されるようになったことから、奈良時代・8世紀のものと推定されている[1][2][3]。ただし、中国で唐の時代につくられたとする見解もある[3]。
来歴
本尺はもとは法隆寺に伝来したもので、寺の伝承によれば、聖徳太子が仏像や袈裟を作ったときに用いたとされる[1]。
1878(明治11)年に皇室に献納された一群の宝物のひとつであり、1882(明治15)年に、新たに開館した東京・上野の博物館(東京国立博物館の前身、1890(明治22)年に帝室博物館となる)に移された。戦後の1949(昭和24)年に所蔵が東京国立博物館となり、現在に至る(以上の記述は項目「法隆寺献納宝物」に基づく)。同館での管理番号(列品番号)はN-58である[1][2][3]。
1957(昭和32)年6月18日付で重要文化財に指定された。種別は工芸品、指定番号は787である[4]。
関連する資料
正倉院宝物には同名の資料が計6点含まれており、それぞれ「甲」[5]「乙」[6]「第1号」[7]「第2号」[8]「第3号」[9]「第4号」[10]と称されている。
脚注
- ^ a b c d e f “紅牙撥鏤尺|ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システム”. 国立文化財機構. 2023年4月1日閲覧。
- ^ a b c d e “紅牙撥鏤尺|e国宝:国立文化財機構所蔵 国宝・重要文化財”. 国立文化財機構. 2023年4月1日閲覧。
- ^ a b c d e 東京国立博物館 編 『法隆寺献納宝物特別調査概報22 計量器』東京国立博物館、2002年、9-10頁。
- ^ “紅牙撥鏤尺|国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2023年4月1日閲覧。
- ^ “紅牙撥鏤尺 甲|正倉院宝物検索”. 宮内庁. 2023年4月1日閲覧。
- ^ “紅牙撥鏤尺 乙|正倉院宝物検索”. 宮内庁. 2023年4月1日閲覧。
- ^ “紅牙撥鏤尺 第1号|正倉院宝物検索”. 宮内庁. 2023年4月1日閲覧。
- ^ “紅牙撥鏤尺 第2号|正倉院宝物検索”. 宮内庁. 2023年4月1日閲覧。
- ^ “紅牙撥鏤尺 第3号|正倉院宝物検索”. 宮内庁. 2023年4月1日閲覧。
- ^ “紅牙撥鏤尺 第4号|正倉院宝物検索”. 宮内庁. 2023年4月1日閲覧。
紅牙撥鏤尺(こうげばちのるしゃく)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 16:44 UTC 版)
「赤漆文欟木御厨子」の記事における「紅牙撥鏤尺(こうげばちのるしゃく)」の解説
撥鏤技法によって作られた物差しで紅色に染めた尺は2枚が伝わる。宝物番号は北倉13。片面を一辺が1寸の区画をつくり、その中に動植物文様があしらわれる。分(寸の10分の1)の目盛りはなく、儀礼用の尺であったとみられる。反対の面には区画をもうけず自由に文様が配置され、側面には規則的に小さい花文様を配する。こうした儀尺は唐では毎年2月に贈答する風習があり、唐で作られたものが遣唐使などにより舶来したものとする説が主流。天平時代の2枚の尺は微妙に長さが異なり、これを根拠に1枚を平安後期から鎌倉時代のものとする説もあるが、目盛りに相当する区画も厳密ではなく、儀礼用の尺であれば厳密に作られるものではなかったとしていずれも天平時代の物とされる。
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