米英留学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:18 UTC 版)
竹商人の家庭に生まれる。1917年(民国6年)、優秀な成績で清華留美(アメリカ留学)予備学校に入学した。1919年(民国8年)、五四運動が起きると、王は清華学校学生評議会主席などをつとめ積極的に参加し、2度逮捕された。1925年(民国14年)、清華学校高等科を卒業して、公費によりアメリカに留学、ウィスコンシン大学に入学している。またアメリカ政治学会にも加入し、1929年(民国18年)、同大学大学院で政治学博士号を取得した。同年中にイギリスに渡り、ロンドン政治経済学院(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)で政治思想・比較政治を研究している。 翌1930年(民国19年)8月、王造時は帰国して上海光華大学教授・政治系主任・文学院院長、中国公学政治学教授などをつとめた。なお帰国当初の王造時は、国家社会主義を信奉して中国青年党に加入し、その幹部として反三民主義・反共産主義の論陣を張っている。後に中国国民党の一党専制を批判する論文を発表したために、ついに学校から追われてしまった。そのため弁護士を開業して、引き続き活動を展開している。
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