笹山の陣とは? わかりやすく解説

笹山の陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/06 11:31 UTC 版)

立岡山」の記事における「笹山の陣」の解説

建武2年(1335)、新田義貞勢が京都から「筑紫大道」を駆け下り播磨国攻め入った時、本陣「笹山の陣」を置いたのが立岡山北麓大地である。戦の最中立岡山から500m北に位置する斑鳩寺の僧たちは勝軍会を催して義貞の戦勝祈願行った。義貞は四条隆資にこれを報告し恩賞あるよう書き添えた斑鳩寺古文書新田義貞書状写」)。対峙していた赤松則村は、白旗城引き上げていったと伝えられている。義貞の白旗城攻めこの後のことである。

※この「笹山の陣」の解説は、「立岡山」の解説の一部です。
「笹山の陣」を含む「立岡山」の記事については、「立岡山」の概要を参照ください。

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