第2の哨戒 1941年12月 - 1942年2月
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「スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1941年12月 - 1942年2月」の解説
12月30日、スレッシャーは2回目の哨戒でマーシャル諸島およびマリアナ諸島方面に向かった。1942年1月9日から1月13日にかけて、スレッシャーはマジュロ、ミリ、アルノの各環礁を偵察したあと、グアム方面に移動。2月4日未明、スレッシャーはハガニアの北11キロの地点で小型の貨物船を発見。ただちに潜航し魚雷を3本発射。これは命中しなかったので、発射準備状態にあった残りの魚雷も発射した。スレッシャーは30分にわたって攻撃行動を繰り返し、1隻4,500トンの戦果を挙げたと判断されたが、戦後のJANAC(英語版)の調査はこれを認めなかった。2月24日、海軍機がスレッシャーを誤爆してしまったが、幸いにスレッシャーには損傷はなかった。2月26日、スレッシャーは58日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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