第一次英蘭戦争
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第一次英蘭戦争(だいいちじえいらんせんそう、英語: The First Angrlo-Dutch War、オランダ語: De Eerste Engels-Nederlandse oorlog、1652年 - 1654年)は、イングランド共和国(イギリス)とネーデルラント連邦共和国(オランダ)の両海軍間で争われた、もっぱら洋上を戦場とする戦争である[注釈 2]。貿易をめぐる紛争に端を発し、イングランドによるオランダ商船攻撃によって始まったが、大艦隊の出動によって戦闘が拡大した。結果として、英海軍はイングランド近海の制海権を獲得し、オランダに対し、イギリスおよびその植民地との貿易において英本国による排他的独占を認めさせた[1]。この戦争は、イギリス・オランダ戦争(英蘭戦争)の最初の戦いとなった。
注釈
- ^ グレゴリウス13世によってグレゴリオ暦が制定されたのは1582年にさかのぼるが、アメリカ13植民地をふくむイギリス帝国でグレゴリオ暦が採用されたのは、1752年のことである。
- ^ オランダ側からは、「第一次イギリス戦争」とも呼称される。佐藤(1998)p.258
- ^ 従来、ネーデルラントの毛織物工業はその南部(現、ベルギー)が中心地であったが、オランダ独立戦争(八十年戦争)中、毛織物業者の多くがスペイン支配をのがれるため北部(現、オランダ)に移住してきたため、毛織物業の面でもオランダとイギリスは競争関係にあった。『ブリタニカ国際大百科事典3』(1972)「オランダ戦争」p.492
- ^ 「三王国戦争(Wars of the Three Kingdoms)」は、日本では「清教徒革命」と称されることの多い歴史事象である。議会派・革命軍と王党派の軍がイングランド・スコットランド・アイルランドの三王国にまたがって戦われた一連の戦争であるため、そう呼称される。
- ^ カルヴァン派は、イングランドではピューリタン(清教徒)、スコットランドではプレスビテリアン、オランダではゴイセン(「乞食」に由来)と呼ばれた。
- ^ 共和政時代のイングランドでは、反革命の拠点であったアイルランドとスコットランドが征服対象となり、ヨーロッパ大陸ではユグノーなどプロテスタント諸勢力を支援してカトリック諸国に打撃を加え、一方でオランダは通商上のライバルとみなされた。岩井(1998)pp.197-199
- ^ 当時、オランダには明白な敵国は存在しなかったが、イングランドはスチュアート家を強固に支持するフランスとの間で宣戦布告なき戦争といえる状況下にあった。
- ^ しばしば「副戦隊司令官」と訳される。
出典
- ^ Rickard, J. (11 December 2000), First Anglo-Dutch War (1652-1654), History of War.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『ブリタニカ国際大百科事典3』(1972)「オランダ戦争」p.492
- ^ a b c d e Israel (1995), p. 715
- ^ a b Israel (1995), pp. 714-715
- ^ Israel (1995), p. 610
- ^ a b c Israel (1995), p. 714
- ^ Israel (1995), p. 611
- ^ Israel (1995), p. 537
- ^ Israel (1995), pp. 715–716
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 佐藤(1998)pp.255-259
- ^ a b c d 岩井(1998)pp.204-205
- ^ a b c d e ミヒール・アドリアンスゾーン "デ・ロイテル"(Michiel Adriaenszoon de Ruyter 1607-1676) その3
- ^ Kennedy (1976), p. 48
- ^ コトバンク「イギリス・オランダ戦争」
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