第三者医療機関での検査入院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 21:59 UTC 版)
「綿ふき病」の記事における「第三者医療機関での検査入院」の解説
否定派側の声が大きくなる一方で、田尻は第三者の医療機関での検証の必要性を考えはじめ、岡山大学附属病院に患者の受け入れを交渉したが断られてしまう。その後も受け入れを承諾する医療機関は中々見つからず、患者であるN農婦とその家族も自宅から離れた遠方への転院には難色を示した。 困窮する田尻に助け舟を出したのは「前述した4例目の類似例」に携わった農学者の二国二郎である。大阪大学産業科学研究所(ISIR)の所長で同大教授であった二国は、明石病院での事例を見聞した後の1964年(昭和39年)5月1日、岡山の田尻の病院を訪ね、この時点で入院7年目となるN農婦と相対した。入院期間中に排出された多量の綿を確認し、N農婦の未切開の膿瘍から採取した膿にまみれた綿束を譲り受け持ち帰り、これを大阪の研究所で洗浄して加水分解やアセトリシス等、あらゆる物理的、科学的検証を行ったが、他の専門家によって明らかにされている従来の検証結果と同様のものであった。 綿ふき病の原因追及に熱意を持った二国は、医学や繊維学など特定の分野にこだわらない、分野の垣根を超えた総合的な研究機関の必要性を訴え、研究の賛同者を募り同年11月4日、総勢16名が田尻病院に集まった。参加者は賛同した個人や各病院の代表者だけでなく、大阪大学の生化学者の赤堀四郎、同大の釜洞醇太郎、同大の藤野恒三郎といった高名な医学者らも参加し、1泊2日にわたりN農婦を検診して様々な討論を行ったが結論を得ることはできなかった。
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