第三次マラーター戦争と保護国化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/19 15:10 UTC 版)
「ダウラト・ラーオ・シンディア」の記事における「第三次マラーター戦争と保護国化」の解説
第二次マラーター戦争終結後、マラーター同盟内には束の間の平和が訪れ、1810年にダウラト・ラーオはグワーリヤルに新区域ラシュカルを建設した。 だが、1814年に宰相とガーイクワード家との間でグジャラートの都市アフマダーバードをめぐり対立したこと、それによる1815年のガーイクワード家の使者殺害により状況は変化した。イギリスは使節を殺害した宰相の家臣を投獄したが、宰相バージー・ラーオ2世はダウラト・ラーオにイギリスに対し共に対抗しようと提案した。 11月5日、第三次マラーター戦争が勃発したが、シンディア家はその同日にイギリスと軍事保護条約グワーリヤル条約を締結した。これにより、シンディア家はラージャスターン地方における権益を放棄し、その進出を認めたばかりか、イギリスの対ピンダーリー戦争においてはピンダーリーの掃討への協力も約した。ここにシンディア家はイギリスに従属する、いわゆる藩王国の地位に落ちた。 1827年3月21日、ダウラト・ラーオは死亡し、養子のジャンコージー・ラーオ・シンディア2世が継承した。
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