立原翠軒とは? わかりやすく解説

たちはら‐すいけん【立原翠軒】

読み方:たちはらすいけん

[1744〜1823]江戸後期儒学者水戸藩士。名は。字(あざな)は伯時。別号東里徂徠学折衷学を学び彰考館総裁となった。「大日本史」の校訂努め水戸藩政にも尽力。著「海防集説」「西山遺聞」など。


立原翠軒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/21 08:04 UTC 版)

立原 翠軒(たちはら すいけん、延享元年6月7日1744年7月16日) - 文政6年3月4日1823年4月14日))は、江戸時代中期から後期の水戸藩士。学者として5代藩主徳川宗翰、6代治保の2代にわたって仕える。本姓平氏家系常陸平氏大掾氏の一門・鹿島氏庶流といい、鹿島成幹の子・立原五郎久幹を祖とする立原氏仮名は甚五郎。諱は万。字は伯時。号は東里。致仕後に翠軒と号する。父は水戸藩彰考館管庫・立原蘭渓(甚蔵)。嫡男は水戸藩士で南画家の立原杏所、孫には幕末志士立原朴次郎や閨秀画家の立原春沙、子孫には昭和初期の詩人建築家立原道造がいる。


  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.24
  2. ^ 森銑三『人物逸話辞典 下巻』(東京堂出版1987年) 36、37頁参照。


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