立松東蒙とは? わかりやすく解説

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たてまつ‐とうもう【立松東蒙】

読み方:たてまつとうもう

平秩東作(へずつとうさく)


平秩東作

(立松東蒙 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:05 UTC 版)

平秩 東作(へづつ とうさく、享保11年3月28日1726年4月29日) - 寛政元年3月8日1789年4月3日))は、江戸時代後期の戯作者狂歌師漢詩人文人である。幼名は八十郎、後に八右衛門。姓は立松、名は懐之(かねゆき)[1]。字は子玉[1]。平秩東作は戯号。号は東蒙山・嘉穂庵[1]。父は元尾州藩士で屋号は稲毛屋金右衛門。後に東作が父の屋号を引き継いだ。


注釈

  1. ^ 勘定奉行の松本秀持は平秩東作よりアイヌの風俗や蝦夷地の産物等について情報を得て、1784年(天明4年)10月、蝦夷地実地踏査に踏み切り、2度の調査隊を派遣した[4]。そのなかには最上徳内も含まれていた[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 岡本・雲英編『新版近世文学研究事典』(2006)p.272
  2. ^ 三村竹清 『本之話』岡書院、1930年、32p頁。 
  3. ^ a b c 棚橋正博井上隆明著『平秩東作の戯作的歳月 付・南条山人年譜 江戸天明文壇形成の側面』」『国文学研究』第115巻、早稲田大学国文学会、1995年3月、 129-132頁。
  4. ^ a b c 賀川(1992)pp.115-119
  5. ^ a b c 井上, 隆明 (1990) (日本語), 平秩東作と周辺, 日本近世文学会, doi:10.20815/kinseibungei.51.0_1, https://doi.org/10.20815/kinseibungei.51.0_1 2022年6月13日閲覧。 


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