福岡県西方沖地震当時の放送体制とは? わかりやすく解説

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福岡県西方沖地震当時の放送体制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:50 UTC 版)

九州朝日放送」の記事における「福岡県西方沖地震当時の放送体制」の解説

2005年3月20日日曜日発生した福岡県西方沖地震当時本社のある中央区でも震度6弱観測報道局立札が横に大きく揺れ本棚一部散乱した。さらに周り停電し報道陣達はパニック陥った。しかし大きな損傷はなく、緊急処置報道センター使用できるようになったテレビは『サンデープロジェクト』の11:00以降内容地震特番切り替えて40分に渡り地震情報専念するサンデープロジェクト終了後11:50の『ANNニュース』でも地震関連ニュース行い数分報道特別番組当たったラジオは「財津和夫の人生ゲーム21」が終わった直後地震ニュース放送11:00から天神パサージュ広場で行う予定だった「春のラジオフェスタ』の生放送急遽中止し宮本啓丞九州朝日放送アナウンサー)をメイン地震特番編成地震情報取材記者リスナーからの情報放送した(春のラジオフェスタのメイン務め予定だった和田安生岩渕梢地震の影響即時帰社し特番参加した)。 この地震の影響で、局舎の横にある鉄塔福岡タワー送信開始時まで福岡1チャンネル送信していた)の先端部分曲がり、自局はもとよりテレビ西日本など県内他局でもニュースとなったこの他、局のレコード室所蔵していたCDレコード一部破損、しばらく立入禁止となり、ラジオ放送中心に影響出た。 この地震以降ラジオ生番組では頻繁に福岡市中央区長浜1丁目からお送りしている…」とアナウンスするようになった

※この「福岡県西方沖地震当時の放送体制」の解説は、「九州朝日放送」の解説の一部です。
「福岡県西方沖地震当時の放送体制」を含む「九州朝日放送」の記事については、「九州朝日放送」の概要を参照ください。

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