福岡県西方沖地震当時の放送体制
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「九州朝日放送」の記事における「福岡県西方沖地震当時の放送体制」の解説
2005年3月20日日曜日に発生した福岡県西方沖地震当時は本社のある中央区でも震度6弱を観測。報道局の立札が横に大きく揺れ、本棚も一部、散乱した。さらに周りが停電し、報道陣達はパニックに陥った。しかし大きな損傷はなく、緊急処置で報道センターも使用できるようになった。 テレビは『サンデープロジェクト』の11:00以降の内容を地震特番に切り替えて、40分に渡り地震情報に専念する。サンデープロジェクト終了後は11:50の『ANNニュース』でも地震関連ニュースを行い、数分間報道特別番組に当たった。ラジオは「財津和夫の人生ゲーム21」が終わった直後に地震ニュースを放送。11:00から天神パサージュ広場で行う予定だった「春のラジオフェスタ』の生放送を急遽中止し、宮本啓丞(九州朝日放送アナウンサー)をメインに地震特番を編成。地震情報、取材記者、リスナーからの情報を放送した(春のラジオフェスタのメインを務める予定だった和田安生、岩渕梢も地震の影響で即時帰社し、特番に参加した)。 この地震の影響で、局舎の横にある鉄塔(福岡タワー送信開始時まで福岡1チャンネルを送信していた)の先端部分が曲がり、自局はもとよりテレビ西日本など県内他局でもニュースとなった。この他、局のレコード室に所蔵していたCDやレコードの一部が破損、しばらく立入禁止となり、ラジオ放送を中心に影響が出た。 この地震以降、ラジオの生番組では頻繁に「福岡市中央区長浜1丁目からお送りしている…」とアナウンスするようになった。
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