福岡一文字派について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 12:09 UTC 版)
鎌倉時代(13世紀)に福岡一文字派の刀工によって作られたとされる。福岡一文字派は鎌倉時代初期から中期にかけて繁栄した刀工一派であり、名前の由来は備前国吉井川の東岸にある福岡が活動拠点であったことに由来する。福岡一文字派は刃文が華麗であることから古来より珍重されており、後鳥羽上皇が1ケ月交代で各地の刀工を招いて刀を作らせた御番鍛冶(ごばんかじ)13名のうち、福岡一文字派より7名の刀工が選ばれている。福岡一文字派の刃文は匂出来(においでき)で花の咲き誇る姿にも似た丁子乱(ちょうじみだれ)が特色であり、古一文字や鎌倉時代後半の一部を除いては、焼幅の広い姿に鎺元から切先まで丁子乱の焼幅が安定して付き丁子の頭が揃った華麗な重花丁子乱(じゅうかちょうじみだれ)や大房丁子乱れ(おおふさちょうじみだれ)の刃文がある。一文字派は銘字を「一」とのみ切る作刀があることからこのように呼ばれており、本作の銘も「一」のみで個別の刀工名は明らかでない。
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