神橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 15:26 UTC 版)
神橋(しんきょう)は、栃木県日光市上鉢石町にある、大谷川(だいやがわ)に架かる朱塗りの橋[1]。世界遺産「日光の社寺」を構成する文化財の1つ[2][14][15]。日本の重要文化財に指定されている[注 2]。
- ^ a b c 一般には1904年(明治37年)とされ[4][6][7]、日光二荒山神社が運営する神橋の公式サイトでも1904年(明治37年)としている[8]。しかし、実際には1904年(明治37年)12月時点で完了していたのは橋台工事のみで、橋脚は1905年(明治38年)9月15日、木工は1905年(明治38年)10月23日、漆工は1906年(明治39年)11月26日、擬宝珠と装飾金具は1906年(明治39年)11月29日に竣工し、すべての工事が終了したのは1907年(明治40年)4月28日のことであった[3]。開通式は1907年(明治40年)8月6日に挙行された[3]。
- ^ 重要文化財「二荒山神社」を構成する建造物の一つとして指定。1944年9月5日、当時の国宝保存法に基づき旧国宝に指定(既指定の社殿に追加指定)。1950年の文化財保護法施行後は重要文化財。当該指定に係る官報告示は昭和19年9月5日文部省告示第1058号[16]。
- ^ ヘビの背に山菅が茂ったとする説もある[4][5][17][26][28][29]。
- ^ 伝説では男体山を登頂するために勝道は大谷川を渡ろうとする[31]。しかし男体山登頂を目指すのであれば、神橋の位置よりもっと上流に行けば渡りやすい地点があることから、なぜ神橋の位置で渡河を考えたのか説明がつかない[31]。
- ^ 高座石は大谷川の中にあり、洪水のたびに浮沈を繰り返すと伝承される石である[37]。神橋が流失した1902年(明治35年)の洪水以前は水面から出ていたが、洪水以降は水中に隠れたとされている[33]。
- ^ 山伏は2月23日の冬峰行者の水垢離と3月2日の出峰の時に渡った[17]。
- ^ 神橋の建設のために神橋の下流側に架けた仮の橋であった[5][13]。仮橋は古式に則った刎橋であったと伝えられる[5][40]。
- ^ 当日は余興として手踊りの披露や花火の打ち上げが行われた[48]。
- ^ 馬車鉄道の軌間は600 mm、日光電車軌道は1067 mmだったので、軌道をそのまま流用したわけではない[51]。
- ^ 竣工は1957年(昭和37年)3月31日である[9]。
- ^ 10基ある擬宝珠のうち1基だけは洪水で流されなかったため、寛永年間のものを使っている[3]。他の9基は鹿沼町(現・鹿沼市)の太田五郎平が鋳造した[3]。
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- ^ “日光杉並木街道 附 並木寄進碑”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2021年2月19日閲覧。
神橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 05:49 UTC 版)
詳細は「神橋」を参照 参道の日光山内への入り口には、大谷川(だいやがわ)に架かる神橋(しんきょう)がある。この神橋は「日本三奇橋」の1つに数えられる。 古くは「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」、または単に「山菅橋」・「蛇橋」とも称された。
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