社交クラブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:53 UTC 版)
神戸外国人居留地には2つの社交クラブが存在した。一つは1868年(慶応4年/明治元年)にドイツ人の居留民が設立したクラブコンコルディアである。クラブコンコルディアはドイツ人のみが入会できる社交クラブであったが、居留地の東端に建設した施設の維持費を賄うためにドイツ人以外の入会も認めるようになり、オランダ人・ノルウェー人・スウェーデン人などが入会した。 もう一つは1869年5月5日(明治2年3月24日)にアメリカ人とイギリス人が中心となって設立されたユニオンクラブ(インターナショナルクラブともいう。後の神戸外国倶楽部)である。ユニオンクラブにはアメリカ人・イギリス人のほかフランス人・イタリア人などが入会した。ユニオンクラブは居留地内の建物(初めは31番地、次いで32番地、79番地(オリエンタルホテルの地下。1870年(明治3年)に本拠を置いて活動した。 ドイツ帝国成立後、クラブコンコルディア内部でドイツ人会員と非ドイツ人会員との対立が生じ、非ドイツ人会員が大量に脱会する事態となった。資金難に陥ったクラブコンコルディアは施設をユニオンクラブに売却し、1881年(明治4年)頃、ユニオンクラブと入れ替わりに79番地のオリエンタルホテル地下に本拠を移した。第一次世界大戦が勃発するまでの間、2つのクラブの関係は良好で、1890年代にオリエンタルホテルが火災により焼失した際にはクラブコンコルディアの会員がユニオンクラブの施設を利用できるよう、ユニオンクラブが配慮を示している。ユニオンクラブ(神戸外国倶楽部)は居留地返還後も活動を続けている。
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