砂漠の開拓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 15:42 UTC 版)
モルモン教徒はソルトレイク渓谷に到着したときに、文字通り住むための場所を作らねばならなかった。灌漑設備を造り、農場を配置し、家、教会および学校を建てた。水を得ることが特別に重要だった。ブリガム・ヤングはほとんど即座に別の居住地を定めて所有権主張に動いた。グレートベースンで水資源があり、どうしても重要な自給作物を栽培するに足る長い生育期間を確保できる大きな地域を見つけることは難しかったので、衛星状の地域社会を形成し始めた。 1847年に最初の集団がソルトレイク渓谷に到着した後間もなく、北のバウンティフルに開拓地ができた。1848年、開拓者達は罠猟師マイルス・グッドイヤーから購入した土地、現在のオグデンに移動した。1849年、トゥーエルとプロボの町が設立された。この年にはまた、ユト族の酋長ワカラの招きに応じて、ユタ中部のサンピート渓谷に移動し、マンティの町を造った。新しいユタ準州の州都にすることを意図してフィルモアの町が1851年に設立された。1855年、西部先住民に向けた伝道の目的で、ユタ東中部にレミ砦、ラスベガスおよびエルクマウンテンの基地が設けられた。 モルモン大隊から帰還した会員の経験は新しい地域社会を作ることにも重要だった。西部へ旅するとモルモンの兵士はコロラド、アリゾナおよび南部カリフォルニアの使える川や肥沃な渓谷を識別した。更にこれらの者が旅してソルトレイク渓谷の家族の元に戻ると、南部ネバダや南部ユタに移住した。モルモン大隊の上級士官ジェファーソン・ハントは積極的に開拓地および鉱物や他の資源を探した。その報告によって1851年には現在のシーダーシティに近いアイアン郡への入植を奨励した。南部の探検は結果的にモルモン教徒がセントジョージ、ネバダのラスベガスおよびカリフォルニアのサンバーナーディーノ、さらには南部アリゾナの地域社会への入植に繋がった。
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