石鈇山開山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 20:34 UTC 版)
石鈇山は古くから日本七霊山の一つとして名高く、『日本霊異記』には「石鎚山の名は石槌の神が坐すによる」とある。 崇神天皇35年には、石土の峯に神を勧請したという(長寛勘文による)。685年には役小角が龍王山(瓶ヶ森の中腹)での修行の末、天河寺を開創し、上仙(寂仙)が山頂までの道を開き、光定(伊予国風早郡出身)により瓶ヶ森から石土山が移され、石鈇山として開山された。 石鎚神社の石鎚信仰の由緒によると「石鎚信仰の母体、関西第一の高峰霊峰石鎚山(1982メートル)は、飛鳥時代(685年)に、役の行者(役小角・えんのおづぬ)によって開山されました。その後、上仙菩薩が石鎚蔵王大権現と称えて深く信仰。山路を開き、登拝者を導き、常住社(じょうじゅうしゃ・今の中之宮成就社)を創立するに至りました。」と記述されている。
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