白鳩会総裁時代
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太平洋戦争終結後の1946年、雅春の光明思想に共感を得て上京し、世界の書物の翻訳作業に当たっていた荒地清超が両思いであった雅春夫妻の娘、恵美子と結婚、婿養子谷口清超となる。雅春の公職追放が解除され、1951年の教団本部の組織改革に伴い、輝子は生長の家白鳩会総裁に就任し、女性組織の中心者として後年まで指導に当たった。1963年、1972年及び1973年の雅春の海外巡錫にも同行し、精力的に布教に励んだ。1975年1月13日、雅春夫妻は建設中であった長崎県西海市の生長の家総本山に移転、同所で実施される行事での講話を中心に、教団の出版する『白鳩』『理想世界』などへの寄稿を通して、主に女性を対象とした布教活動に尽力した。
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