発見と命名の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 09:23 UTC 版)
「WASP-11b/HAT-P-10b」の記事における「発見と命名の経緯」の解説
最初にこの惑星が報告されたのは2008年4月で、スーパーWASP計画が一斉に公表した10個の惑星(WASP-6bからWASP-15b)にWASP-11bとして含まれていた。この時点では惑星の性質を確認するには至らず、惑星の特定につながる恒星の座標などの情報を伏せたまま観測が続けられた。 2008年9月26日、スーパーWASPとは別のプロジェクトであるHATネットが、系外惑星HAT-P-10bの発見を報告する論文を、プレプリントとしてarXivで公開した。同日、スーパーWASPはWebサイト「太陽系外惑星エンサイクロペディア」で別のプレプリントを発表し、WASP-11bとHAT-P-10bが同一の天体であることが明らかになった。その後両チームは惑星の名前として双方の名称を繋ぎ合わせたものを使用することで合意した。
※この「発見と命名の経緯」の解説は、「WASP-11b/HAT-P-10b」の解説の一部です。
「発見と命名の経緯」を含む「WASP-11b/HAT-P-10b」の記事については、「WASP-11b/HAT-P-10b」の概要を参照ください。
発見と命名の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 15:47 UTC 版)
1911年(明治44年)10月、小学校教員で在野の貝類研究家であった吉良哲明(吉良竜夫の父)が、大阪府北河内郡諸堤村(現:大阪市鶴見区)へ転勤した際に、寝屋川に沿った五ヶ庄川で毎年行われていた藻刈の際に発見した。吉良は平瀬與一郎に鑑定を依頼し、新種であるとの評価を受け、「モノアラガヒモドキ」と命名し、小中学校の理科教員を主な読者とする雑誌『理学界』に発表した。 ところが、平瀬與一郎や平瀬介館は新種として記載せず、貝類研究者の岩川友太郎はCamptoceras terebra Bensonに同定した。新種として記載したのはアメリカのブライアント・ウォーカー(英語版)で、平瀬から送られてきた貝の1つであったことから、Camptoceras terebra hiraseiと平瀬に献名した。また、和名は平瀬の命名したカワネジガイが定着した。以後、吉良は自著の中でも「カワネジガイ」と記載しており、なぜ自身が命名した「モノアラガヒモドキ」を主張しなかったのかは不明である。
※この「発見と命名の経緯」の解説は、「カワネジガイ」の解説の一部です。
「発見と命名の経緯」を含む「カワネジガイ」の記事については、「カワネジガイ」の概要を参照ください。
- 発見と命名の経緯のページへのリンク