現代の見沼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 08:08 UTC 版)
「見沼代用水#現状」も参照 市民、自治体は熱心に保全活動をしてはいたが、首都圏25キロ圏といった立地や戦後からの劇的な市街化によって見沼も少なからず影響を受けている。芝川、加田屋川では下水の流入により水質は悪化、以前の清流を失ってしまっている。見沼の緑地においても、広大な水田は、日本国政府の減反政策による畑への転作や、耕作放棄による荒れ地となり、良好な景観とはいえなくなっている。 また、中心市街地からの距離が遠い旧浦和市域に比べ、中心市街地に近い旧大宮市域のほうが、見沼にあたる地域での開発が進められた。埼玉県庁が設立したさいたま緑のトラスト協会による『緑のトラスト保全地第一号地』として、南部領辻の斜面林が保全されている。 さいたま市緑区上野田にある野田山は「野田のさぎ山」とよばれ、鷺の繁殖地であった。これは、日光御成街道を通る江戸幕府の将軍も立ち寄って鷺を見たという有名な繁殖地で、明治には禁猟区、昭和には特別天然記念物に指定された。しかし、都市化の波は避けられず、日光御成街道は国道122号となり交通量も増加した上に、水田も減少(畑に転作)したことで、いつしか鷺は姿を消した。天然記念物の指定も1984年(昭和59年)に解除されて、「さぎ山記念公園」として、その名をとどめている。
※この「現代の見沼」の解説は、「見沼」の解説の一部です。
「現代の見沼」を含む「見沼」の記事については、「見沼」の概要を参照ください。
- 現代の見沼のページへのリンク