王系譜の異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/28 22:57 UTC 版)
『三国史記』高句麗本紀 『三国志』高句麗伝┏━大祖大王(宮) 宮━━伯固━┳━抜奇┣━次大王(遂成) ┗━南謨━━位宮┗━新大王(伯固)━┳━抜奇 ┣━故国川王(南謨)━━罽須? 『後漢書』高句驪伝 ┣━発岐 宮━━遂成━━伯固 ┣━山上王(位宮) ┗━罽須? このころの高句麗王の系譜については多くの異説、差異があり、系譜伝説がまだ確定していなかったと見ることができる。『三国史記』の中にあっても、「故国川王の王子・罽須を遼東太守との戦いに派遣した」(故国川王紀6年条)としたり、「故国川王に子がいなくて弟の延優が王位を継いだ」「発岐とともに攻め込んできた公孫度への防戦に山上王の弟の罽須を当てた」(山上王紀前紀)としたり、異説を整理し切れていない様が見られる。
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