狸の死人憑とは? わかりやすく解説

狸の死人憑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/14 01:57 UTC 版)

狸憑き」の記事における「狸の死人憑」の解説

江戸時代後期幕臣小十人頭、のちには、持弓之頭)であった宮崎成身は、幕府編纂事業従事している。文政13年1830年)頃から30年以上に亘って成身が編纂した雑録視聴(みききぐさ)』(全178冊)は、政治・事件災害など様々な出来事について記録されているが、怪談奇譚類い数多く収められており、その中の一つに、による死人憑の話、すなわち「死人(しびと)にが憑いた」という話がある。それは次のようなことである。 文政11年3月西暦換算〈以下同様〉:1828年4月5月)、やちという老婆江戸屋敷仕えていたが、あるとき突然気絶した数時間後に回復した後、四肢の自由は失われていたが、食欲10倍ほどに増し、陽気に歌うようになった。不安がった屋敷の主医者見せると、やちの体には脈がなく、医者奇病というしかなかった。やがて、やちの体は痩せ細り、体に穴が空き、その中から毛の生えた何かが見えようになった。秋が過ぎた頃、冬物着せよう着物脱がせると、着物にはらしき体毛おびただしく付着していた。枕元にはの姿が現れるようになり、ある夜からは枕元柿の実や餅が山積み置かれるようになった。やちが言うには、来客持参した贈り物とのことであった読み書きできないはずのやちが、不自由のはずの手和歌を紙にしたためることもあった。やちの食欲次第増し毎食ごとに7膳から9膳もの飯、毎食後に団子数本きんつば数十個を平らげた。やがて、同年11月2日1828年12月8日)、やちの部屋阿弥陀三尊の姿が現れ、やちを連れてゆく姿が見えた。やちの体からは老いた抜け出して去ってゆき、残されたやちの体は亡骸化していた。やちの世話をしていた小女夢に現れ世話になった礼を言い小女目覚めると礼の品として金の盃が置かれていたという。

※この「狸の死人憑」の解説は、「狸憑き」の解説の一部です。
「狸の死人憑」を含む「狸憑き」の記事については、「狸憑き」の概要を参照ください。

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