火薬塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:40 UTC 版)
火薬塔 (Krautturm、または Pulverturm) の名前はすでに17世紀から用いられていたことが証明されている。これはこの塔の下層が火薬 (Kraut = Pulver) 倉庫であったことから、明らかにその用途に応じた名前であった。Gesprengter Turm(爆破された塔)という呼び名は後世になってからのものである。 この塔はプファルツ継承戦争時の1693年にフランス兵によって爆破された。巨大な壁の断片が現在も塔に寄りかかっている。ところでこの爆破により塔と壁の継ぎ目はブンテル砂岩と同じくらい丈夫であることが証明された。 最初この塔の高さは28mであった。1610年に42.5mにまで増築された。廃墟となった現在でも33mの高さがある。 この廃墟の賛美者の一人にヨハン・ヴォルフガング・ゲーテがいる。1779年9月23日に堀に架かる橋の上からこの塔を描写している。ゲーテはハイデルベルクを8回訪れたのだが、この第4回の訪問については口をつぐんでいる。1899年の研究で初めてこの時の訪問が明らかとなった。どうやら政治上の秘密訪問であったようで、あるいはプロイセン王フリードリヒ2世の優位に対抗するための諸侯同盟の交渉のためにハイデルベルクを訪れたとも推測されている。ザクセン=ヴァイマール=アイゼナハ公カール・アウグストとゲーテはスイスへの旅をハイデルベルクで打ち切り、その午後中をハイデルベルク城で過ごしている。ゲーテが破壊された火薬塔の描写を書き上げる間、カール・アウグスト公は「その古く美しい塔の周りを這い登っていた」のである。
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