滝川氏とは? わかりやすく解説

滝川氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 10:51 UTC 版)

滝川氏(たきがわし、旧字体:瀧川氏)は、日本氏族家紋は丸に竪木瓜。近江国甲賀郡に興り、織田信長の重臣・滝川一益を輩出した。


一益系

忠征系

雄利系

  1. ^ a b 寛政重修諸家譜』第4輯、442頁。
  2. ^ 『藩翰譜 : 12巻 巻七』吉川半七、1896年、44丁表。
  3. ^ 加藤国光『尾張群書系図部集』続群書類従刊行会、1997年、393頁。
  4. ^ 鳥取県 編『鳥取藩史』第1巻 (世家・藩士列伝)、鳥取県立鳥取図書館、1969年、440-442頁。
  5. ^ 「瀧川系図」(東京大学史料編纂所所蔵)。
  6. ^ a b c 旧高旧領取調帳データベース”. 国立歴史民俗博物館. 2024年3月30日閲覧。
  7. ^ 『寛政重修諸家譜』第4輯、447-448頁。
  8. ^ 『名古屋叢書 続編 第17巻 士林泝洄 第1』名古屋市教育委員会、1966年、120-124頁。
  9. ^ 名古屋市編『名古屋市史 人物編 第1』川瀬書店、1934年、141-142頁。
  10. ^ 新修名古屋市史資料 公開資料一覧” (pdf). 名古屋市市政資料館 (2019年3月). 2024年3月30日閲覧。
  11. ^ 『寛政重修諸家譜』第3輯、425頁。
  12. ^ 『寛政重修諸家譜』第3輯、427頁。
  13. ^ 野沢日出夫「子孫訪問 江戸幕府最後の大目付瀧川播磨守の裔 瀧川具也氏」『姓氏と家紋』近藤出版社、第61号、1991年3月、38-39頁。


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滝川氏

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神流川の戦い」の記事における「滝川氏」の解説

一方敗れた一益は6月27日清洲会議出席出来ず織田家における一益の地位急落した。翌天正11年1583年正月、一益は織田信孝柴田勝家与して羽柴秀吉激突秀吉方の大軍7近く相手3月まで粘り柴田勝家南進後も織田信雄蒲生氏郷の兵2近くの兵を長島城釘付けにしたが、勝家賤ヶ岳の戦い敗れ4月23日北ノ庄において自害4月29日には信孝も岐阜城落とされ自害してしまう。残された一益は長島城籠城続け意地見せたが、7月降伏。これにより一益は所領全て没収され出家し入庵と号した天正12年1584年)の小牧・長久手の戦いが始まると、今度秀吉方として織田信雄家臣九鬼嘉隆前田長定調略し、信雄の長島城徳川家康清洲城中間にある蟹江城攻略徳川織田主力相手半月以上籠城する遂に敗れ伊勢逃れた。しかしこの功により秀吉から1万5,000石を与えられ大名返り咲いた蟹江城合戦)。同時に、一益は天徳寺宝衍山上道及と共に秀吉東国外交担っており、佐竹義重梶原政景と書状を交わしている。その内容秀吉北条征伐予告するものであり、彼らの活動は、その後北条氏にとって不利に働いた考えられる天正14年1586年9月9日滝川一益病死した。

※この「滝川氏」の解説は、「神流川の戦い」の解説の一部です。
「滝川氏」を含む「神流川の戦い」の記事については、「神流川の戦い」の概要を参照ください。

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