清朝の消失とイギリス帝国によるチベット独立の承認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 08:54 UTC 版)
「シムラ条約」の記事における「清朝の消失とイギリス帝国によるチベット独立の承認」の解説
しかし、辛亥革命で清朝が消失すると、イギリス帝国はチベットに介入し、1913年にイギリス帝国インド領に亡命中のダライ・ラマ13世をラサ市に戻し、政権の樹立を目指した。1913年から1914年にかけてイギリス帝国インド領北部の避暑地シムラ(Simla、Shimla)でイギリス帝国、中華民国、チベットで会議が実施された。イギリス帝国全権代表ヘンリー・マクマホンは、イギリス帝国インド領の国境線を北上させる条項(いわゆるマクマホンラインのこと)をチベットと締結したが、中華民国代表は署名を拒否した。
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