活動休止~その後
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1985年、東京・赤坂の日枝神社でメンバー5人が合同結婚式を行い、話題を呼ぶ。結婚式当日は花嫁を引き連れてフジテレビ系『夜のヒットスタジオDELUXE』の第1回目に出演。後に須川が抜けて7人体制になるが、その後メンバーは一人一人が個人で活動していくようになる。田代と桑野はバラエティの世界を主な活動の場とするようになり、鈴木は1986年にソロ歌手としてデビューした。久保木は一般人となり、時折ラッツで集まる以外は芸能活動を行わなくなり、佐藤は音楽プロデューサーに転身した。活動休止以前に脱退した山崎、高橋、須川を含む他のメンバーもラッツ以外の音楽活動や一般人となるなどそれぞれの道に進んだ。 1987年、鈴木の実の姉である鈴木聖美の歌手デビューをサポート。「鈴木聖美 with Rats&Star」としてリリースしたデュエット曲「ロンリーチャップリン」がヒットし、後にカラオケのデュエットソングの定番となった。「鈴木聖美 with Rats&Star」としての楽曲発売は同年11月のシングル「TAXI」が最後となり、以後は新曲をリリースすることもなく活動休止状態になる。しかし年越しライブ「NEW YEAR ROCK FESTIVAL」への出演など単発的な活動は行っており、1989年に発売されたゲームソフト「田代まさしのプリンセスがいっぱい」ではラッツ&スターのメンバー全員がゲーム内に登場するなどしていた。又、同時期にはゼネラル石油のCMにもメンバー全員で出演した事もあった。90年代に入るとそのような機会もほとんどなくなっていき、1991年には新保が覚醒剤不法所持で逮捕されている。 1992年7月15日にはフジテレビ系番組『SOUND ARENA』に緑のスーツを着て出演し、メドレーを披露している。この番組は田代が司会を務めていた番組であり、同年6月24日の放送に鈴木がゲスト出演した際に同じく司会を務めていた徳光和夫(徳光、堺正章、田代の3人で司会を務めていた)が鈴木にラッツでの出演を持ち掛けて実現したものだった。 ネズミ年の1996年にメンバーが再集結し、期間限定で活動を再開する。ラッツ&スターとしては11年振りとなるシングルである大瀧詠一プロデュースの「夢で逢えたら」をリリースし、ライオン株式会社の歯磨き「クリスタ」のCMソングに起用された。その後全国ツアーを敢行し、同年、同曲で『NHK紅白歌合戦』に初出場する。 1996年の再集結以降、桑野自身が日本テレビ系の音楽番組『THE夜もヒッパレ』でグループの活動再開を明言していたが、田代の一連の不祥事により話が立ち消えになったようである。しかし、それ以降も桑野は「解散したわけではなく、もし活動を再開するのであれば再結成ではなく再集結です」と述べている。
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