江頭安太郎 えがしら やすたろう
佐賀生まれ。海軍軍人。父は佐賀藩士。佐賀中学、攻玉社を経て明治19年(1886)海軍兵学校卒業。26年(1893)に海軍大学校卒業。日清戦争では「金剛」航海長。30年(1897)「高砂」回航員としてイギリスに出張。日露戦争では大本営参謀。その後、生駒艦長、旅順鎮守府参謀長、海軍省人事局長などを歴任し、45年(1912)軍務局長、大正2年(1913)中将となる。
キーワード | 海軍軍人 |
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江頭安太郎
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江頭 安太郎(えがしら やすたろう[1]、1865年3月9日(元治2年2月12日) - 1913年(大正2年)1月23日[2])は、日本の海軍軍人。海兵12期首席[3]・海大甲号学生5期首席[4]。海軍中将従四位勲二等功三級。皇后雅子の曽祖父[5]、文学者江藤淳の祖父。
注釈
出典
- ^ a b 秦 2005, p. 188, 第1部 主要陸海軍人の履歴-海軍-江頭安太郎
- ^ 『江頭安太郎』 - コトバンク
- ^ 秦 2005, pp. 269–288, 第1部 主要陸海軍人の履歴-期別索引
- ^ a b c d e 秦 2005, pp. 641–660, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧-II 海軍-1.海軍大学校甲種学生
- ^ a b 「小和田家系図」『毎日グラフ臨時増刊 皇太子さま雅子さま ご成婚記念特別号』、毎日新聞社、1993年6月26日、161頁。
- ^ 川口素生『小和田家の歴史 - 雅子妃殿下のご実家』165頁。
- ^ 『官報』第2276号「叙任及辞令」1891年2月3日。
- ^ 『官報』第2617号「叙任及辞令」1892年3月24日。
- ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
- ^ 『官報』第4906号「叙任及辞令」1899年11月7日。
- ^ 『官報』第6142号「叙任及辞令」1903年12月21日。
- ^ 『官報』第7640号「叙任及辞令」1908年12月12日。
- ^ a b 『官報』第144号「叙任及辞令」1913年1月24日。
- ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
- ^ 『官報』第3838号・付録「辞令」1896年4月18日。
- ^ 『官報』第5072号「叙任及辞令」1900年6月1日。
- ^ 『官報』第5835号・付録「叙任及辞令」1902年12月13日。
- ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
- ^ 毎日グラフ臨時増刊、1993.6.26『皇太子さま 雅子さま ご成婚記念特別号』
- ^ 毎日グラフ臨時増刊『皇太子さま 雅子さま ご成婚記念特別号』P127
- 1 江頭安太郎とは
- 2 江頭安太郎の概要
- 3 親族
- 4 系譜
- 5 脚注
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