段葛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 01:16 UTC 版)
段葛(だんかずら)とは、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮の参道、若宮大路のなかで、二の鳥居から鶴岡八幡宮までの車道より一段高い歩道をいう。終着点には三の鳥居があり、鶴岡八幡宮の境内へと到る。神奈川県指定史跡。若宮大路は一部が国の史跡に指定されており、神奈川県道21号横浜鎌倉線の一部である。なお、段葛は鶴岡八幡宮の境内とされているため[注釈 1]、扱いとしては神社の私道である。
注釈
- ^ 明治維新で寺社領が取り上げられ官有地になるが(横須賀線建設のため、一の鳥居と二の鳥居間が破壊されたのは、この時期である)、1917年(大正6年)1月に段葛の八幡宮境内編入が許可された[1]。
- ^ 現在は高架になっているが、当初は平面交差で踏切があった。なお、下馬のガード設置は1910年(明治43年)10月30日である[3]。
- ^ 「寛文八年戊申八月十五日御再興鶴岡八幡宮石雙華表」との碑文が、唯一オリジナルの一の鳥居に刻まれている。
- ^ なお、日本で金属回収令が公布されたのは1941年(昭和16年)なので、長くても4年間程度しか存在しなかったことになる。
- ^ 数は250本から180本へ大きく減じた。
- ^ 以前の石灯籠は当初からあった白熱球型と、昭和40年代に日本コカ・コーラから寄贈された鉄製の水銀灯型が混在していたが、平成大改修で一新された灯籠は、新しいLEDタイプの石灯籠に統一された。なお、石灯籠には寄贈者の名前が参道側に刻印されているが、裏側に記された奉納日の大半が「平成二十八年三月吉日」なのに対して、古くからの出資者に関しては、初代石灯籠の奉献日「昭和三十七年七月吉日」のままとなっている。こうした灯籠には「江ノ島鎌倉観光株式会社」(江ノ島電鉄の旧社名)など、奉納当時の名がそのまま刻まれている。
- ^ 昭和時代の横断通路は各出入り口に車から人員を保護するパイプ柵(ガードレール)が段葛脇の若宮大路側へ設けられていたが、平成大改修で車両通行の邪魔として撤去された代わり、各出入り口階段部中央にLED照明入りの柱を立てている。
- ^ 以前はストレートに横断可能だったが、改修後は互い違いの千鳥配置になって通り抜けが困難になった。清川病院前横断歩道に設けられた自動車が利用可能だった開口部も車両乗り入れ禁止となり、車両の段葛途中の横断やUターンが不可能となっている。
- ^ 平成の大改修でスポットライトが桜の各真下に備えられ、夜間にライトアップされるようになった。
- ^ 段葛の上は車両通行禁止。
出典
- ^ 『鎌倉千年の歩み』, pp. 13–14.
- ^ a b c 『道路の日本史』, p. 84.
- ^ 『図説鎌倉年表』, p. 235.
- ^ 段葛がある若宮大路の方位(Travel.jp、2018年)
- ^ 久能山東照宮、富士山山頂、日光東照宮は一直線上にある(2020年)
- ^ 『鎌倉千年の歩み』, p. 68.
- ^ 『文士の愛した鎌倉』, p. 33.
- ^ 『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和:鎌倉』, p. 27.
- ^ a b 『目で見る鎌倉・逗子の100年』, p. 80.
- ^ 『文士の愛した鎌倉』, p. 42.
- ^ 『昭和の鎌倉風景』, p. 16.
- ^ 『写真アルバム:鎌倉・逗子・葉山の昭和』, p. 34.
- ^ 『目で見る鎌倉・逗子の100年』, p. 97.
- ^ 『鎌倉千年の歩み』, p. 67.
- ^ 『鶴岡』NO.123, p. 5.
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