歴史と崇敬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 18:39 UTC 版)
「アレクサンドリアのカタリナ」の記事における「歴史と崇敬」の解説
歴史家たちはカタリナは実在しなかったと信じており、彼女は歴史上の人物というよりは理想化された人物像であったとみなしている。彼女は、異教徒の哲学者ヒュパティアと相対する像として作り上げられたというのである。カタリナがその目的のために特別に創造されたとするのは疑わしい。ヒュパティアのように、カタリナは高い知性を持ち(哲学と神学において)、非常に美しく、汚れなき処女であったと伝えられており、ヒュパティアの死ぬ105年前にむごたらしく殺されたことも共通している。 1969年、ローマ・カトリック教会は、典礼秘蹟省が発行する聖人の祝日を記載した暦から、カタリナの祝日11月25日を除いた。彼女の実在が歴史的根拠に欠けるという理由からであった。2002年、カタリナの祝日は再び暦に記載された。 1908年、カトリック百科事典はカタリナについて歴史的重要性を記した。 多くの場所で、カタリナの祝日は最上の厳粛さを持って祝われている。フランスのいくつかの司教区では、17世紀初頭から聖なる日の義務とされてきた。数え切れない数の礼拝堂が彼女を守護聖人としており、カタリナ像はほとんどの教会のほど近くで、彼女の拷問の道具であった車輪を象徴化した姿の像が見つけられる。その間、カタリナの生涯に起因する象徴化が進み、ミラのニコラオスは若い未婚男性や学生の守護とみなされ、聖カタリナは乙女と女学生の守護聖人となった。釘打ちされた車輪は聖人の象徴となり、車輪製造者と機械工の守護聖人となった。また車輪はケンブリッジ大学セント・キャサリンズ・カレッジなどの紋章になっている。
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