武道振興委員会の答申と形研究会
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「講道館」の記事における「武道振興委員会の答申と形研究会」の解説
戦時期の昭和14年(1939年)12月に設置された政府諮問機関の武道振興委員会によって、1940年7月30日昭和15年(1940年)7月30日に提出された答申で、武道の戦技化が謳われるようになった。南郷は武道・武術の国家統制からの民間の武道団体の自立を主張しながらも、それに対応する形で1940年に南郷の指示により講道館に「形研究会」が設置され開かれた。そこでは柔道だけでなく様々な武術の専門家22名が委員として招かれた。接近した間合における柔道の武術性に自信を持つ南郷は、離隔の間合の技術も研究すべきと考え、近い間合での乱取、離隔の間合での形を不偏に稽古すべきと主張した。 南郷は、柔道の技術体系が「対手に近接して之れを制御する武術であり、一度対手に近接することを得れば、柔道ほど有効にして且つ優秀なる武術はないと断言することが出来る」と、互いに組み付くことが可能な接近した間合での柔道の武術としての優秀性に自信を示す。それをふまえた上で「離隔」概念を導入し、離れた間合から相手を制御する技術が必要であることを説いた。 「柔道を武術として大成せしめるにはどうしても相当離隔せる位置より相手を制するに至るまでの技能を研究錬磨しなければならない。離隔には剣あり鎗あり弓あり長刀あり、又ボクシングあり唐手あり、之等に対する離隔より接触への過程を研究し得て始めて柔道は武術としても天下無敵たり得るのであつて、この点は今後益々研究錬磨につとめなければならないのであると考へる」。
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