武家諸法度改定(「宝永令」)
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「正徳の治」の記事における「武家諸法度改定(「宝永令」)」の解説
武家諸法度は、白石以前にも以降にもたびたび改定されているが、宝永7年に白石はその1つ、「宝永令」を起草した。形式としては、先代の5代将軍徳川綱吉時代の「天和令」から和漢混交文となっていたが、白石はそれをさらに進め、日本文で書いた。内容的にも理念面、文治政治の理念が明瞭に表れているとされる。なお、この宝永令が効力を持った期間は7年ほどに過ぎないが、武家諸法度としては最も整備したもの、白眉的存在という評価がある。
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