ぶけ‐てんそう【武家▽伝奏】
武家伝奏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/03 05:11 UTC 版)
武家伝奏(ぶけてんそう)は、室町時代から江戸時代にかけての朝廷における職名の一つ。公卿が任じられ、武家の奏請を朝廷に取り次ぐ役目を果たした。
注釈
- ^ この転換は元禄13年(1700年)に東山天皇が幕府に無断で武家伝奏である正親町公通を罷免した事件をきっかけにしたとする見方がある。将軍徳川綱吉の側近・柳沢吉保の縁戚であった正親町の任命に対する不満が朝廷内にあり、天皇が武家伝奏への人事権を主張してその罷免を強行した際には、正親町に不満を抱く関白や京都所司代もこれを止めることなく認めてしまい、幕府がこれを知った時には時遅しであった[1]
- ^ 通説では、広橋兼勝と勧修寺光豊が同時に任じられたとされているが、『お湯殿上の日記』慶長8年3月24日条には「ひろはし大納言にてんそう仰つけらるゝ」と広橋の名前されて記載しておらず、広橋の多忙によって後日に勧修寺が追加して任命された可能性がある[2]
出典
- ^ 山口和夫「霊元院政について」(初出:今谷明・高埜利彦 編『中近世の宗教と国家』(岩田書院、1998年)/所収:山口『近世日本政治史と朝廷』(吉川弘文館、2017年) ISBN 978-4-642-03480-7) 2017年、P229.
- ^ 田中暁龍「寛政期の尊号一件風説書の展開」『近世の公家社会と幕府』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-04331-1 P210-211.
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