歌舞伎・浮世絵・その他創作でのブームとは? わかりやすく解説

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歌舞伎・浮世絵・その他創作でのブーム(1860年以降)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)

村正」の記事における「歌舞伎・浮世絵・その他創作でのブーム(1860年以降)」の解説

また、妖刀伝説は文化的な貢献もあった。 1860年二代目河竹新七黙阿弥)作『八幡祭小望月賑はちまんまつりよみやの にぎわい)』(縮屋新助)は妖刀村正舞台装置として使って悲恋悲劇演出し初期黙阿弥代表する傑作と言われている。 1866年から1867年にかけて、浮世絵師落合芳幾は、月岡芳年と共に無惨絵傑作英名二十八衆句』を発表1720年ごろに佐野次郎左衛門吉原遊女八橋刺殺した事件歌舞伎化が再燃していたのを受け、佐野次郎左衛門妖刀村正を結びつけて「一刀伊勢村其の身に祟る殺人刀」「首の血煙も溜ぬ籠釣瓶百人切」と書いた。芳幾に触発されたのか、競作者の芳年1886年に(持っているのが村正かは不明だが)『佐野次郎左衛門の話』を描いている。維新後1888年には三代目河竹新七が、妖刀村正佐野次郎左衛門百人斬り伝説テーマにした歌舞伎籠釣瓶花街酔醒かごつるべさとのえいざめ)』を発表初代市川左團次らの熱演と共に明治期世話物代表作と言われるほどの絶賛受けた明治時代で最も有名な大英帝国日本研究者の一人バジル・ホール・チェンバレンは、1890年初版発行事典Things Japanese(『日本事物誌』)で、日本四大刀工一人ムラマサだが、ムラマサの刃(ブレード)は不吉と言われていたという説を紹介し妖刀ムラマサ伝説海外にも伝わっていった。

※この「歌舞伎・浮世絵・その他創作でのブーム(1860年以降)」の解説は、「村正」の解説の一部です。
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