英名二十八衆句とは? わかりやすく解説

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英名二十八衆句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 09:42 UTC 版)

英名二十八衆句(えいめいにじゅうはっしゅうく)は月岡芳年及び落合芳幾による浮世絵木版画の連作であり、それぞれが14図ずつ描いている。慶応2年(1866年)から慶応3年(1867年)にかけて刊行された。作品の大半は芝居から題材を得ており、いわゆる無惨絵の代表作である。外題は赤地の短冊枠に画題とともに記され、その左の白地の短冊枠に松尾芭蕉大島蓼太向井去来らの俳句が記されている。二十八衆句というのは仏教の「二十八宿」に基づいており[要出典]、「衆句」イコール「衆苦」に通じ、地獄絵と捉えることもできる[要出典] 。版元は錦盛堂




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英名二十八衆句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/14 08:09 UTC 版)

無残絵」の記事における「英名二十八衆句」の解説

無残絵は、幕末から明治初年にかけて、当該時期における不穏な時代世相背景制作された。作品数多くないが、何れも歌川国芳門下落合芳幾と、その弟弟子月岡芳年によって制作されている。最も刊行早い作品は、慶応2年1866年)から慶応3年1867年)に版行された「英名二十八衆句」であり、これは全28の揃物で、芳幾、芳年が各14ずつ担当した競作である。この作品国芳による「鏗鏘手練鍛の名刃(さえたてのうちきたえのわざもの)」に描かれ芝居小屋の中の血みどろ参考にしており、これに触発され制作された。当時このような見世物流行っていたのであった多く主題を、例えば「東海道四谷怪談」(「直助権兵衛」)や、「夏祭浪花鑑」(「団七九郎兵衛」)などの幕末芝居取材しているが、それにもかかわらず奇妙なリアリティ漂わせているのが特徴である。人物の相貌人体表現国芳以来武者絵の型に則っているが、凶器包丁刻まれた銘や、光沢見せヌメヌメとした質感すら感じさせる血、あるいは血液執拗な描写極めて印象的である。取分け芳年血のり感じを出すために絵の具に膠(獣類の皮、骨、腸などを煮出した液を冷まして固めたもの)を使用している。全ての作品が血がしたたる凄惨なもので、後の彼の発病予感させる錦絵である。この血みどろな残酷シーンは、後の戊辰戦争上野戦争直後弟子旭斎年景連れて彰義隊死体実見して描いたといわれる魁題百撰相」に表現された死のエクスタシーへと結実していく。

※この「英名二十八衆句」の解説は、「無残絵」の解説の一部です。
「英名二十八衆句」を含む「無残絵」の記事については、「無残絵」の概要を参照ください。

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