格闘技とUFC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 14:06 UTC 版)
14歳で空手、15歳からテコンドーを始める。19歳でテコンドーの全米オープン選手権のライト級で優勝を果たし、マサチューセッツ州でも4度王者になる。アマチュアキックボクシングでも2勝1敗の戦績を残すが、頭痛のため21歳で競技者としては引退した。 ローガンはキックボクサーとしての将来を考えていたが、いつもローガンのジョークに笑わせられていた学校やテコンドー道場の友人達の勧めで、コメディアンの道を歩み始めた。 1997年2月7日、UFC 12でバックステージインタビュアーを務め、これがUFCでの初めての仕事となった。しかし当時のギャラでは各地で開催される大会の旅費をカバー出来なかったことで約2年でUFCの仕事から一旦離れた。 2001年、観客としてUFCの大会へ足を運んでいたローガンは、UFCがズッファ体制となり代表のダナ・ホワイトと親しくなると、ローガンの総合格闘技への情熱と知識の豊富さを聞かされたホワイトからコメンテーターの依頼を受けるが、当初は「飲みながら試合を楽しみたいだけなんだ」と仕事の依頼を断っていた。しかし2002年に入るとリングサイドのチケットと引き換えにコメンテーターの仕事を引き受け、15大会ほど無料でコメンテーターをした後に、正式にUFCと契約を交わした。 1994年3月11日に開催されたUFC 2でのホイス・グレイシーの戦いを見て柔術に興味を持つと、1996年からカーウソン・グレイシーの道場でブラジリアン柔術を習い始め、2012年にジャン・ジャック・マチャドの下で黒帯を取得した。同時期にエディ・ブラボーの10thプラネット柔術アカデミーでも、ノーギスタイルの柔術の黒帯を取得しているが、この時に感激のあまり涙を流すローガンの様子がYouTubeで公開されている。
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