柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺とは? わかりやすく解説

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柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

作 者
季 語
 
季 節
秋 
出 典
前 書
法隆寺茶店に憩ひて 
評 言
学校教科書にもでてくるこの著名な句には「法隆寺茶店に憩ひて」と前書きがついています。明治二十八年十月病後の体を休めていた松山立って子規上京の途につきます途中須磨大阪寄って奈良入りました大阪では腰が痛み出し歩行困難なりました医師処方軽快し、念願奈良赴いたのです。。このときの腰痛は、脊椎カリエスよるものだったようですが、本人は、リウマチ思っていました奈良の宿で「晩鐘や寺の熟柿落つる音」とまず詠みました。奈良という古都との配合子規新鮮さ感じたようです。この句の改案上掲の「くへば」です。この鐘の音実際に東大寺の鐘だったようですが、翌日法隆寺行って東大寺とするより法隆寺とした方がふさわしいと思って、そう直したということです。子規写生唱導者ではあっても事実通り体験固執したわけではないのでした。 
評 者
備 考
法隆寺茶店に憩ひて 

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/31 05:35 UTC 版)

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ)は、正岡子規俳句。生涯に20万を超える句を詠んだ子規の作品のうち最も有名な句であり、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」と並んで俳句の代名詞として知られている[1]。初出は『海南新聞』1895年11月8日号。


注釈

  1. ^ ただし初出の『海南新聞』1895年11月8日号では前書きは「茶店に憩ひて」となっている。「病余漫吟」では「法隆寺茶店にて」。「病床六尺」では上五が「柿食へば」。『寒山落木』『獺祭書屋俳句帖抄上巻』では前書き・表記とも掲出したものに同じ[2]

出典

  1. ^ 夏井いつき選 「子規二十四句」『正岡子規』 河出書房新社<KAWADE道の手帖>、2010年、21頁
  2. ^ a b c d 宮坂静生 1996, p. 129.
  3. ^ a b 正岡子規 1985, pp. 174–175.
  4. ^ 坪内稔典 2010, pp. 121–122.
  5. ^ 正岡子規 1985, p. 167.
  6. ^ 坪内稔典 2010, pp. 122–123.
  7. ^ 宮坂静生 1996, p. 130.
  8. ^ 和田悟朗 「子規と法隆寺」「岳」1987年7月号(宮坂静生 1996, p. 131より)
  9. ^ 坪内稔典 2010, p. 122.
  10. ^ a b 坪内稔典 2010, p. 124.
  11. ^ 正岡子規 1958, p. 176.


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