松村の再々反論
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これに対して松村雄策は『ロッキング・オン』1992年2月号に「消えろ、『ミート・ザ・ビートルズ』」と題する文を発表。次のような内容だった。 「ヤングミュージック」については、1967年1月に集英社から出ている音楽雑誌名なのだから、架空の雑誌として小説に登場させれば当時の記憶がある人にとって実在した雑誌との区別がつきにくくて混乱のもとになるのは避けられない(時代色が出ていることと引き換えにするようなことではない)。 7倍という根拠がよくわからないので、21万人を3日間で割ったと感じた。また、この発言をしている登場人物は音楽雑誌の一記者であるが、そういう人間が後日ならともかくコンサート前に、関係筋にどれだけ消えて実質倍率がどうかわかっているというのは無理な設定である。 「チケット」という言葉については、主人公のチケットを破いてしまう柄の悪いプロレスラーのような男達も「チケット」と言っている。1966年のチンピラやくざが当時もっともおしゃれな日本テレビで先を行っていた人とおなじ言葉を使っている(チケットという言い方に十分な考証がなされた結果とは思えない)。 「昔はドノヴァンと呼ばれていたんだけど」というのを「昔はドノヴァン・ハットと呼ばれていたんだけど」と正すことが、会話を説明的にしてしまうとは思えない(そもそもビートル・キャップを説明する登場人物の会話である)。小林の小説作法と関係することとも思えない。 加山雄三はスターだったと小林自身も書いているのだから「加山雄三は恥ずかしい」というのは1966年の空気を正しく伝えることにならない。 「E・H・エリックが曲を紹介した」という対談での発言はどうなったのか。 この小説は二本の映画にビートルズをくっつけており、ビートルズやビートルズ・ファンや読者を侮辱していると感じた。 これをもって、松村は同小説および同小説についての小林の対応を名指しで批判することを止めた。
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