松本勝明とのライバル関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 16:40 UTC 版)
「中井光雄」の記事における「松本勝明とのライバル関係」の解説
中井にとって、松本勝明という存在はライバルであるとともに、師弟のような間柄でもあった。松本は当時ホームバンクとしていた京都市営競輪場(通称、宝が池競輪場)近くに居を構えていたが、自宅からロードワークで逢坂山を越えることを日課のようにしていた。逢坂山とは京都市山科区と大津市の境にそびえる勾配がきつい山として知られる(逢坂山トンネルを参照)。またしばし中井がホームとするびわこ競輪場まで練習しに来ていた。この松本の姿勢に中井は強いプレッシャーを感じるようになり、その後一緒に練習させてほしいと懇願し、互いに練習するようになった。 当時より既に都道府県選抜のタイトルを制し、競輪界のトップクラスの地位にいた松本と練習することで、中井は身体のみならず、精神面の強化も図れるようになった。また当時10代だっただけに、松本から教わったことをはじめてとして、あらゆる物事を吸収するのが早かった中井はやがてタイトル獲得数においては松本を上回ることになった他、自転車プロ選手として初の世界自転車選手権出場(1957年。ベルギー・リエージュ)も果すことになる。
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