松下時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 08:27 UTC 版)
松下入社後の歳男はまず職工として働き、次いで1920年に東京への市場拡大の使命を帯び、駐在員として単身東京に向かった。しかし3年後の1923年に関東大震災に遭遇し、北陸周りで大阪に一時帰ってくるが、帰って一息ついた10日後に再び東京へ引き返した。途中の兵役期間を除いて1932年頃まで、たびたび東京に赴いたり(この間に長男・敏が誕生している)、事業拡大への参画、またその頃病気がちだった義兄、幸之助の代理で松下を預かったりした。門真移転後の1933年には役員待遇、2年後の1935年の株式会社改組時には専務取締役となった。戦時体制の1943年には、船に精通していることもあり、海軍の要請で設立された松下造船の社長に就任し、木造船建造の指揮を執った。高松宮宣仁親王臨席の下で行われた第1船の進水式の際、トラブルで船台から船が滑り降りなくなった原因を調べるため、寒風が吹く中、歳男が冷たい海へ裸で飛び込み、海中に敷いてあるレールの継ぎ目のずれを直したというエピソードもある。
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