食糧ビルディングとは? わかりやすく解説

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食糧ビルディング

(東京食糧ビル から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 01:09 UTC 版)

外観
中庭

食糧ビルディング[1](しょくりょうビルディング)は、2002年まで東京都江東区佐賀1丁目8-4(永代橋の東岸近く)に存在した建築物。食糧ビル

1927年竣工[2]で、渡辺虎一の設計[3][4]

歴史

この近辺は、江戸時代明暦の大火以降ともいわれる[5])から西の隅田川と北の仙台堀川という水運が生かされて川岸に倉庫)が林立し、明治時代には米穀問屋の一大中心地となった[6]

当初は木造平屋建ての建物が置かれていたものの、1923年関東大震災によって焼失。前述のように1927年に、鉄筋3階(地下1階[4])建てのビルとして復興された。1941年食糧管理法が制定される前年)まで、深川正米市場の取引拠点として機能した[7]。戦後の1951年からは江東食糧販売協同組合の所有となり、民間の食糧関連会社がいくつか入居する形で使用された[1]

1983年 - 2000年までの17年間、「佐賀町エキジビット・スペース」(小池一子プロデュースの日本初ともいわれるオルタナティブ・スペース=美術館でもギャラリーでもない第三の場という意味[7])としても、活用された[2]

食糧ビルディング跡地であることを示すプレート

建物の老朽化もあり、2002年6月末に都内のマンション開発業者(フォーユー)へ売却された後に解体され[3]集合住宅に生まれ変わった。

跡地へ2004年10月に竣工した地上14階建て総戸数が72戸の集合住宅(三井パークホームズ・門前仲町リバーイースト)はこの建物の特徴的だった、白いアーチ型のエントランスとベージュ系のタイル貼りが使われ、敷地内にはこの建物を紹介するプレートも設置されている。

デザイン・構造

1階部分は白で統一され、2階以上はレンガタイル貼り。窓も含め、ふんだんに正円アーチが用いられた。

南北に門があり、自動車の行き来が可能なキャラバンサライのような中庭構造[8]

たびたび映画、テレビドラマ、広告雑誌などのロケ地にもなった。

交通

東京メトロ東西線都営地下鉄大江戸線門前仲町駅東京メトロ半蔵門線水天宮前駅から徒歩10分。

脚注

  1. ^ a b 昭和初期のモダン建築 「食糧ビル」(江東・佐賀)が75年の歴史に幕 惜しまれつつ来春取り壊し、マンションに - 東都よみうり新聞社 バックナンバー 2002/11/08
  2. ^ a b 佐賀町アーカイブとは - 佐賀町アーカイブ
  3. ^ a b 現代アートの発信地、取り壊しへ 「食糧ビル」、西部警察などのロケにも - asahi.com 2002/09/30
  4. ^ a b (31)ビル業界四季報 - 『週刊ビル経営』 第307号(平成14年10月28日)
  5. ^ p.33 「5. 物流の街、深川」 - 「大消費都市、江戸」 東京海洋大学 苦瀬博仁
  6. ^ 江戸を支える仙台の米 - 宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行
  7. ^ a b エモーショナル・サイト展 「食糧ビルという場所」 - ART遊覧
  8. ^ 江東 気になる名所案内 第12回 「佐賀町の旧小菅商店」 - カルチャーナビKOTO 2013年3月号 1面 泉麻人



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